向こう水博士

向こう水博士は、世の中のあらゆるテーマに対し率直に素直で真摯な意見を考える、いわば人生を好転させる福の神のような存在です。宜しくお願いします。

久しぶりの投稿へとダイブ!!近頃のライフスタイル。。。

今日、仕事から帰って来て考えたこと。

デザインのテキスト作成スピードアップの為、ブログを出来るだけアップし、文章を書くこと。とにかく、パソコンに触ること。Boot CampしているMacイラレが入っているので、もし容量がギチギチの場合ハードディスクに接続して新たにPhotoshopを動かせるかどうか??を風呂上がりのビールを飲みながらおぼろげに考えていた。

 

 

私は、この投稿が久しぶりだということには、訳がある。今まで、一年前ほどのことであるが、私の仕事内容はライティングだった。が、もちろんそこにいた時にも私はグラフィックデザイナー志望ではあった。しかし、社の方針で内容のガラリと変わってしまったライティングの仕事を泣く泣くしていた。

 

デザインすること、画像や、写真に興味のあった私にとって、自分に興味のない文章を読んでリライトするライティングは何も興味をそそられるものではなかった。なので、私は次のIT系会社に渡った。デザインの仕事をするために。

 

 

が、しかし文章を書くのは好きなのであろうと今思う。タイピングも嫌いではないらしい。

 

かくして、私は、今からブームが来るかもしれないライティングの仕事を投げ、このデザイン業界に足を踏み入れた。それが、かれこれ一年前の話である。久しぶりのこのライティングは近況報告等になってしまったが、次回書かせていただく時には、その後、私の身に何があり、どのような一年を過ごしてきたかを面白いところから出し惜しみせずに書いてにいこうと思う。

 

 

 

 

 

武道という道

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日本には様々な武道が昔からある。空手道、柔道、合気道、剣道、弓道薙刀。パッと思い当たるだけでもこれくらいはあるだろうか。

 

 

私は、幼い頃、近所の友達に連れて行ってもらって、剣道を見学に行った。しかし、あまりの待ち時間も長さと待っている間に読んでいた、剣道漫画で全てが分かったような気がしてその場を後にした。

 

私が、中学生の頃に気になったのは柔道部、筋トレに興味を持っていたのをきっかけに柔道部の先輩方が筋トレをしているのをいいなあなどと見ていた。入りたかったが、その時は足が遠のいた。

 

次は、高校生の頃、電車で街に向かう途中にあるテコンドーの道場だった。高校の頃、空手をやっていたという友達と組み手や、半戦いの相手をしてもらっていた時に。他の友達なんかが、私は「足が上がるからテコンドーやればいいのに」と言われたのもきっかけの1つだった。

 

しかし、その時のテコンドーも喧嘩に使うのではないかとか、試験前に怪我されたら困るなどという母の心配の前に話はなくなった。

 

それから、また私は懲りずに、20歳前後の頃に合気道の道場にいた。合気道はまた柔道や、剣道とは違って面白く目に移り、ガタイがいい人がやっているとも限らず、面白かった今度こそは思い、親に頼んでみたが、またダメだった。

 

 

22、3歳の頃に私は、ちょうどちまたでK-1やプライドが流行ってる頃、私は総合格闘技の道場に、知り合いと通うことになった。知り合いはテコンドーをベースにしている人で格闘技歴もあった。

 

私といえば、言わばこの道場では初心者ストリートファイターのようなものだ。この道場には、学校で、サッカーや、ボクシング、柔道をやっている高校生が多かった。中には、アマチュア総合格闘技第3位の強者などもいたが、相手にはならない。

 

 

結局、準備運動を済ませた後、私は私の母校で柔道をやっている後輩と寝技のスパーリングを始めた。柔道をやっているだけあって、腰が強い、しかし柔道の投げの駆け引きにはちょっとした自信があった私は、あっという間に相手をねじ伏せた。

 

その後は、相手がタップするか時間が経過するまで抑え込むのがルールだが、抑え込むのを柔道家はそう簡単に許してくれない。結局、時間終わり間際、息が上がったところを袈裟固めで反対に押さえ込まれてしまった。

 

 

次は、また違う選手との座ったままのボクシングである。ほとんど、反射神経で避けるとか、タイミングを狙って打つとかという感じでではなく、兎にも角にも手数が多い方の勝ちである。これには、打つということに関してスタミナに自信のある私は、3分間一方的に打ち込み勝利した。

 

 

 

すると、それを見ていた、キックボクシングをやっている青年が来て、8オンスのグラブでスパーリングをやろうと言う、安請け合いの了承をして、武道館の畳の上でスパーリングが始まる、強い選手らしくジャブだけで攻めてきて、こちらの攻撃は当たらない。そんなこんなしてると、埒があかないと思った私は、ワン・ツー・スリー・フォーと踏み込んで、何回も連打を打ち始めた。

 

 

すると、急に距離感が掴めなくなった相手の顔にパンチがヒットする。相手はびっくりして下がったが、首を横に振り効いてないよとジェスチャーする。しかし、周りは、来たばかりの私がそこまでやるとは思ってなく、「おおーっ」と歓声を上げている。

 

スパーリングの結果は聞かずとも知れた、私の大敗だったが、足跡は残せた。

 

それから、私は格闘技と離れていたのだが、長崎や、鹿児島で外国人と触れ合うことがあり、私が日本の文化で伝えることがあるとしたら、何を伝えれるだろうと思った時にここ鹿児島で空手を始めたのだ。

 

 

私は、その空手道場で4年間鍛錬をしたのだが、強くなることだけではなく、礼儀作法や先輩との付き合い方、身の正しい置き方、精神鍛錬を空手から学んだように思う。

 

若い頃は大会で3度優勝したことのある師匠がいつか言っていた。空手は一生の内に一度か二度、使うかもしくは使わない方がいいものである。どうしても、使わざるを得ない時のために、技を磨き、鍛錬をし、精神を鍛えるものだと。

 

 

 

私は、空手を通して、手を出さないで解決することの大事さ、しかし、世の中には空手を使って武で守らなければならないことも確かにあるということも勉強した。

 

武道という道、奥が深いと思う。

 

 

 

 

 

最後になりましたが、しばらくの間、はてブロの投稿の方が休みがちになります。

というのは、ひふみよベース紫原という会社、私の通勤している会社ですが、

そこで、作っているWebニュース ひふみよタイムスにて投稿作業をするため

そちらに重きを置きます。

 

ちなみに、ひふみよタイムスは、スマートフォン、アンドロイドのアプリで

ダウンロードできます。私のひふみよタイムスでのブロガー名は

飛べる感じのピーターパンです。

 

ひふみよタイムスの飛べる感じのピーターパンもこれからもよろしくお願いします。

帰ってきた、時計。そして、場を繋いでくれた父の形見の時計

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私がいつもはめているお気に入りの腕時計は、私が鹿児島にやってきてしばらくした頃にバイトで一生懸命働いたお金で、今のマルヤガーデン以前にあった三越で購入したものだ。

 

当時では珍しいソーラーパネル電波時計G-SHOCKだった。私はそれを気に入り、今の今まで大切に使ってきた。かれこれ、10年近くなる。

 

abck50 on Twitter: "「カシオだし。日本製だし」イギリス人が庭で無くして20年ぶりに見つけたというカシオの腕時計の頑丈さに海外も驚愕 : すらるど - 海外の反応 https://t.co/9nyYb4Vf2G 日本人の魂を取り戻そう"

 

その電波時計が今回止まってしまった。最初は電池が切れて太陽エネルギー不足なのかと思っていたが、しかし、いくら太陽にあてても、光にあててもなおらない。

 

 

仕方なく、モールに入ってる2階の時計屋さんに持っていくと、「版が壊れてるのかもしれませんね。修理に出しますか?」と聞いてきたので、お願いした。

 

その間、時計がなくなるわけだが、その間の代役として父の形見の時計を使った。父の時計も電波のソーラー時計でなかなか、渋い作りをしていた。はめてみると、父の腕時計は軽く、最初、私の腕時計と比べると重さが物足りなく感じた。

 

 

その後、1ヶ月経っても時計屋からの連絡は来ない。その頃には、父の時計にも慣れ、傷を付けないように大事に使っていた。父の時計はつけていてもつけているような感じすらない自然な感覚だった。

 

私の腕時計は結局、2ヶ月近く経ってやっと戻って来た。無事な姿で。元どおり全ての装置が動くし、綺麗になっていた。

 

久しぶりに親友と会ったような気分に浸りながら、はめてみると、ズシッとはめている感があり、毎時ごとになるアラーム音もなった。やはり、この重量だとは思ったが、父の腕時計に慣れていた最近では、少し重く感じた。

 

 

しかし、自分の腕時計は、いい親近感が全然違う。父の代役の時計、父が生きていた時には父の時間を管理してくれ、父と時間を共にした時計に暫しの別れを告げ、また自分の愛用の時計とこれからの日々を連ねていく。

 

 

 

時計は一緒に時を重ねる親友だ。

卵が先?鶏が先?養鶏場でのイタチごっこの実態とは…

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私が経験した面白い職種の中に養鶏場というものがあった。養鶏場の朝は、鶏様への餌やりから始まる。まずは、養鶏場の主へのご奉仕作業だ。そして、産んでくださった卵の収穫、引き続き小屋内の清掃になる。

 

よって、私たちの格好は、つなぎの作業服に長靴という格好になる。

 

寒い日などは、小屋の掃除など温まりちょうど良い感じなのだが、暑い夏や、梅雨時期の小屋掃除は地獄である暑いし、糞や鶏の匂いがかなり充満して臭い。

 

 

 

養鶏場の仕事は、一日をかけてゆっくり卵の回収や小屋の手入れ、掃除、餌作りをする。なので、寒い時期などは、火をくべて暖を取りながら一服を入れて、近頃の話をしながら、ボチボチやるというのんびりしたものだ。

 

 

養鶏場の仕事で一番大変なものは、小屋掃除なのだが、もちろん小屋の中には鶏もいる。その飛び回り逃げ回る鶏の中スコップ片手に泥や糞を落として一輪車に乗せて、運ぶの繰り返しをを焼く30部屋行う。夏は暑さとともに異臭もして頭もクラクラする。

 

楽しい作業といえば、もちろん卵の収穫であろう。たまに、卵を収穫しようとすると、産んだ卵を温めている鶏に出くわす。そんな時は、「ごめんね」と言って卵を頂戴する。

 

 

そして、そうやって毎日手塩にかけて可愛がっている鶏を、たまに解体して食べるときがある。それは、もちろん流れ的には当たり前といえば当たり前なのだが、卵を産まなくなった鶏を解体して自分たちで食べるのだ。

 

まずは、小屋の中にソーッと入る。何かを感じるのか鶏もそういう時は、私たちに寄って来ない。ソローと近寄りサッと尾っぽを捕まえ逆さ吊りにして外に運びだす。足に縄を結わえて逆さにして血を昇らす。ある程度血が上ったところで首を包丁で掻っ切るのだが、これに勇気がいる。

 

 

年下の慣れた先輩たちは「大丈夫っすよ」などと言いながら、ザクッと殺ってしまうのだが、いつも養鶏場で親方と鶏をみている私にはなかなか勇気がいる。

 

何度かためらった後、思い切って包丁を喉にあて横に引く、ズーッと喉を引くと大量の血がピーッとほとばしる。鶏は苦しそうにバタバタするが何秒か後には大人しくなる。今度はそれを撒きをくべて温めていた鍋に二羽、三羽ずつ入れ茹でる。

 

茹でてフワフワにピンク色になった鶏の羽を、むしり。いよいよと包丁を言われた通りに動かして捌いていく。これが砂ずり、この肝を取るなどと言われながら。さっきまで生きていた、鶏を捌いていく。

 

銀色、サヤカ on Twitter: "紆余曲折を経て鶏を絞める体験しました https://t.co/0DtJkrys0c"

 

妙なことに絞めた後の鶏というのは、天使に見えるというのが私の感想だ。私は、その捌いた鶏を家に持って帰ってありがたくいただいた。一欠片の肉も残さずに。生きて私たちに命を繋いでくれた鶏に感謝しつつ、いつも世話をする鶏を食し。食の大事さ、食のありがたさを感じ私たちの血となり肉となる鶏のために働いた養鶏場時代だった。

 

 

冬の装い、ジャケット、マフラー、靴下、あなたはどこに重点をおいてオシャレする

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冬の装いを示す代表的なものと言えば、ジャケット、マフラー、靴下である。

 

男女にどこに一番重点を置いてオシャレをするか聞いてみました。すると、男性はジャケット、一般的にお気に入りのジャケットがあってそれを着回すそうでした。女性はマフラー、マフラーはその時のTPOに合わせて何枚か持っていて使うそうです。

 

 

やはり、私も革ジャンや、デニムのジャケット、コートなどを着回し、その中でもお気に入りの品があるのは確かです。

 

 

 

 

もう
冬物コート着てます


18度を、下回ると
薄手のコートは必要で


寒がりの人は
12度下回ると
冬物コート

暑がりの人でも
10度下回ると
冬物


天気予報をする時の
自分の基準ですが


質問があった
10〜12日

東京でも
最低気温4度

の予想。


そうです
冷蔵庫並み!!


つまりは
帽子手袋など
なんでも大活躍

特にディズニーは
海風で体感温度が下がるし
11日は雨も予想しているので
とにかく
防寒はしっかりで
間違いないと思われます。


姉は
早速
去年自分が作ったマフラーを
引き出しから出してきて

完全防備です( ̄∇ ̄)ははは!


たしかこの日は
18度くらいあったけど

人それぞれですね☆


あくまで
ご参考までに(^^)



 

ネモミ

 

 

 

 

冬の装い、ジャケット、コートに革ジャンに、ニットなどの帽子、マフラーなど色々楽しめますよね。少しばかり出てしまったお腹なども隠せるのが冬服のいいところですよね。冬服を着ているうちにエクセサイズなどしてみるのもいいですね。冬は代謝が上がるので、ダイエットには最適な季節だというのを知っていましたか?

 

冬になって、寒くはなりますが、冬の装いを楽しんで冬のレジャーも楽しんでくださいね。

 

 

IT、クリエイティブという仕事に就いて

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父は、私が学生時代に今までとは畑違いの、ITの仕事をするようになった。何気なく見ていた仕事だが、今、38歳、この年になって、ほぼ初心者と言える私がIT、クリエイティブの仕事をするようになった。

 

父の影響で、父が得意だったパソコンを今は私が今は亡き父に変わり、勉強しながらの仕事に就く。

 

私は、パソコンをするにあたり、ほぼ初心者の段階でMacを購入した。それは、自分に賭けたお金であり、未来んお自分への投資である。

 

 

 

今もこうして、少しは使い慣れたMacしかしながらまだまだ使いこなせていないMacでこうやって文章を書いている。私は文章をタイピングするのが好きだ。物事を頭で作り、それを頭で文が出来上がると同時にタイプする瞬間が恐ろしく好きである。

 

Macでフォトショやイラレなどもしようと今、試みているが、まだまだ未開拓で教科書を見ながら覚えている最中である。

 

こんな私だが、一応、翻訳も自分でしたのを書き上げたり色々な仕事をMacと共にする。Macは今や相棒だ。

 

Windowsではワードやエクセル、パワーポイントを中心にしたが、やはりパソコンは奥が深くて面白い。

 

ある人が言っていた。「パソコンはゲーム感覚で出来て面白いですね。」そう、まるで大人用の真面目ゲームである。

 

たまに行くパチンコなどでは、言うことを聞かない機械がうるさくなるが、パソコンはきちんと入力すればその通りに動くし、それ以上に便利なツールも教えてくれたりするから関心だ。

 

私の今の夢はデザイナーだ。Webを使えるデザイナー、ホームページを作れるデザイナーである。夢は色々ある。まだまだ、初心者の身だが起業していつか社長になるのが夢だ。時間は少々かかっていいと今は思っている。しかし、いつかなる。

 

 

 

その夢に向けて、今日も私はこの会社に来て色々な業務をしながら、仕事を覚えていくのだ。いつか座る社長椅子のために。

離れて暮らす長女から劇への招待状

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先日、夜の8時半頃、理由があって預けている一番上の娘から電話がかかってきた。内容はというと、2日後の土曜日に学校で学習発表会があるから来て欲しいという内容だった。

 

 

私は、娘のおぼつかない説明だけでは、内容が掴めなかったので、引率している先生に「一応土曜日は仕事が入っているから、行けるかどうかは分からないですが、行くなら駐車場や時間はどうしたらいいですか?」と聞いた。

 

すると、また明日の同じくらいの時間になったら、電話しますということで一旦話は切れた。

 

 

次の日の同じ時間頃、電話はかかってこない。20分が過ぎた、まだかかってこない。

40分が過ぎた、それでもかかってこない。気づくと、もう夜の9時50分近くになっている。

 

こちらから、かけてみようかと婚約者と話し電話してみると「担当の者が体調を壊して今日休みで、今かけるとこでした」という返答。しらじらしいななどと思いながら、話を聞くと駐車場はないらしく、「車を停めるなら娘さんの出番は10時からですが、早くに来ないとなくなるかもしれませんよ」と言う。

 

発表会、前々日に急に電話かけてきて、2回目の連絡はきちんとせずに駐車場も自分で探さないといけないときてる。少しこんな状況に腹が立った。しかし、長女が悪いわけでもないし、長女が頼んできてるのだから無下に断るわけにもいかない。

 

 

 

気を取り直して、次の日、発表会のある小学校に向けて車を走らせる。駐車場を使ってもいいと言われていたが、ちょっと癪なので、そのまま小学校に一か八か尋ねてみた。

 

すると、以前も運動会に来た時、停めた場所に皆んな譲り合って上手く停めてある。そこに、並べて駐車して発表会を開催している体育館へと向かった。

 

体育館では子供達の作品展示もしており、長女の力作も並べられていた。不器用ではあったが難しい作業に取り組んで、一生懸命なさまが見て取れた。

 

 

舞台を観てみると、高学年による合奏が行なわれている。さすが、高学年にもなると合奏もかなりの腕前になるものだと関心させられた。

 

娘を探してみるが、なかなか見当たらない。取り敢えず、椅子に座り、カメラを構えた時、娘の姿を捕まえた。

 

 

手を振ると気づかずに時は過ぎたが、全校合唱の時に長女は気づきハニカミながらも手を振りかえしてきた。長女は歌を歌うのが好きだ。大きく口を開けて揺れながら歌を楽しそうに歌っている。

 

その後、長女達の劇の出番になった。長女は劇のナレーターを買ってでたらしく、何人かのナレーターと共に出てくる。しかし、いかんせん恥ずかしがり屋なので声が小さいのと会場が応援に来た保護者でざわついているためなかなか聞こえない。

 

ある程度のモノを動画に収め、私は片道1時間の距離をまた仕事へと向かった。

 

途中、休み時間の間に長女とは話す時間もあったのだが、長女は何を考えたのか、先生達には「パパが来てるよ、パパが来たよ」と言ってるのに、私の前ではほとんど話さなかったのだ。

 

 

 

少し、不燃気味の私は仕事をしながら、その日を振り返った。まあ、そんなこともあるのが離れて暮らす長女を持つ私なのである…