向こう水博士

向こう水博士は、世の中のあらゆるテーマに対し率直に素直で真摯な意見を考える、いわば人生を好転させる福の神のような存在です。宜しくお願いします。

年配新人達とベテランルーキーの戦いの果てに見るものとは、、、

我が社には、次から次へと新人がやってくる。それは、我が社の社長が来るものは拒まず、去るものは追わずだからである。そうやって、我が社が出来た当時に一番に入社した私は今まで色々な新人を見てきた。

過去二年間にざっと30人は辞めただろうか、なかなかな社ではある。それだけ、人を惹きつける能力があると同時に、諦められる社でもあるからだ。

私は、入社して二年間の間に一からデザインを学び、プロのデザイナーになった。クライアントさんを自ら探し、案件を引き受け、結果を出し、印刷する。グラフィックデザイナーである。そんなこんなしてる頃に彼らは現れた。

年配新人男女の二人組だ。教育するには、少し難がある年齢である。彼らは、今までの新人と違い最初からある程度の実力こそあった。だからこそそれが災いした。彼らにはプライドが出来上がっていたのだ。ベテランルーキーだった私はその頃にはアートディレクターになっていたのだが、彼らは、自分の派閥を作り派閥内で固まった中で案件を選り好みし始めたのだ。

もちろん、アートディレクターの私は仕事が上手くいかず面白くない。彼らからすれば自分たちより若い私がアートディレクターなのが面白くないわけだ。そこは、第三者のすり合わせが必要そうであったが、誰も考えようなどとはしなかった。そして、勿論のごとく衝突。

年配新人イラストレーター、デザイナー、とベテランルーキーアートディレクターがぶつかるとどうなるのでしょうか??

さあ、お立ち会いお立ち会い。

クライアント様を確保出来るようになって。

私は、デザイナーの谷口です。以前のクリエイター事務所から始まり、かれこれ何年も今のデザイナーズ事務所に足しげく通いデザイン制作し、周りのデザイナー、プログラマー陣と切磋琢磨しながら毎日を過ごしています。

 

 

私がなんとか営業させて頂いたクライアント様を相手に仕事を始めたのは、起業を考えた頃からの話しです。練りに練った案で営業をかけたクライアント様相手のやり取りに始まり、連絡先を交換した後、テキストや画像、イラストの受け取り。見積もり書を作成、デザインをしての数回の打ち合わせの後に入稿し、印刷。そして、刷り終えたものを確認し、送付までの一連の作業をプロとしていっぱしに出来るようになったのは、師匠のお陰様様です。

 

 

そんな折、私には、度重なるチャンスが到来しました。営業をかけたクライアント様からのオファーが次から次へと訪れたのです。もちろん、いつものように一つずつ丁寧に応対し、いつもの手順とやり方で慎重にデザインを仕上げていたある日、そのクライアント様は私のネットの中に訪れました。

 

その月3番目のご年配のクライアント様が私のクライアント様になられました。

 

始めは、素敵な年の重ね方をされた方に一見見えましたが、この方がまさかとこの時思うよしもなかったです。

 

この方から、デザイナーズ名刺のデザインのご用命を受けましたが、普段、我々デザイナーはデザインのやり取りで、大抵三回ほどのやり直しで入稿、印刷へは至ります。しかしながら、この方に至っては、今回でもう7.8回目になるのです。

 

 

自分はパーティーがあり忙しい。知り合いのデザイナーに聞いたら良いデザインではないらしい、他の人にも見せた。何回目だから、どうして貰えますか?

など、ご自分がない方なのです。

割引き交渉に遅延行為、勤務外の夜中の連絡までし始めるようになってきたのです。

 

二度、三度となだめ交渉をし、一緒に頑張りましょう、もうひと息と、私の師匠と言えば笑いながら付き合って差し上げなさいと。

 

 

でもこれだけは、言わせて下さい。

 

●デザイナーはクライアント様の下僕ではない

●デザイナーは、デザインのプロである。

●デザイン時間外は、チビ達の親である。

●デザイナーは、クライアント様により良い

デザインを提供する仕事である。

 

 

理解していただきたいと思いました。

良き経験、私のセンスの糧になると共に、これからもこのような濃厚なクライアント様を大事にしていきたいと思います。

 

よろしくお願い致します。

当時、長崎で荒れた中学に転校した、ついていない私の幸福な生活

www.youtube.com

私は、中3の夏休みに自分を育ててくれた五島列島の島を離れ、長崎市内にある。市内でも一番素行の悪い中学に転校することが決まっていた。

 

夏の終わりを過ごし、長崎市内に移り誰も知り合いのいないところで、近くにある商店のゲーム機器で百円アーケードゲームをしながら、ダラダラと夏休みを消化していた私は、その頃、週刊雑誌の漫画の中で流行っていた「今日から俺は」にちなんで何か髪型でもいい感じにセットして行こうかなどと考え、近くの理容に金髪にできますか?などと聞いて歩いてまわった。中学生の私には、金額の高さに飽きらめざるをえなく、いつもの髪を立てるスタイルにカットしてもらった。

 

 

11月24日発売のサンデーS1月号より、西森博之先生の[今日から!!]がまさかの復活★新連載スタート! サンデーS増刊冬の新連載攻勢4連弾にご注目ください!! !!

 

 

そして、転校初日、購買部で靴やネームを買っていると、いかにもヤンチャな感じの黒く日に焼けたヤンキーがホウキを肩にかけて近寄り睨みをきかしてきた。母は、心配して、「仲良く宜しくね」とフォローを入れる。その場は、特に何もなく過ごし、二階に上がってクラスに入ろうとすると、横で何か大きなクラスに人がいっぱい集まっている。

 

しかも、金髪リーゼントやモヒカンのような髪型、赤髪の学生がギャーギャー言いながらひしめいている。

 

何だったんだろうと思い。教室に戻り、座っているとヤンキーが代わる代わる私を訪ねてくる。「お前、どこの中学から来たとや?」「お前タバコ吸うと?」いちいち一方的な質問を投げかけてはどこかに行ってしまう。迷惑なものだ。

 

 

その後、そのヤンキー達は何が気に食わなかったのか後ろの防火扉を「ドゴーン!ドゴーン!!」と蹴っている。するとクラスの中にいた、まあ、イケてる方のヤンキー。こちらは少しヤンキー風のクラスメイトが近寄って来て、「いつものことやけん気にすんな。よろしくな、さっきSと話していただろう?俺の連れなんだ」

 

とりあえず、その時の少し悪さをするヤンキーの特徴といえばほとんどが決まっていた。それに、他校に喧嘩を売りに行ったりとかも色々あったらしい。

 

 

とにかく、その日から私のスリリングでサスペンスな日々が始まった。何日か経った朝から私は、前の学校でも履いていた当時流行りのボンタンを履いて行った。ちなみに私と同じ日に転校して来て、初日からボンタンを履いて来ていた転校生は顔の形が変わって大変なことになっていた。

 

バスに乗ると、赤髪の前髪と後ろ髪が長い不良が乗っていて、こっちをじっと見ている。「ん?ヤバイのかな」などと思っていると、「こっち来てここ座れや」と言って私がここ何日かバスの中で立っているのを見ていたのか、自分のスペースを空けてくれた。「俺は。Rよろしく。」案外優しく、これから赤髪のRとはバス通学友達になってしまった。

 

すると、バスを降りて来て、すぐに金髪リーゼントの不良が近寄って来て、「お前喧嘩強い?」などと聞いてくる。どういう質問なのだろう?と思っていると、他校に遊びに行くらしい…

 

 

などという形で、毎日が漫画のように過ぎていく。

 

しかし、私は幸福にも天性の柔軟性とフレンドリーさで事も無く過ごし、スリリングでサスペンスな体験をしつつつも楽しい学校生活を送れた。今、思い出すと可愛いものだし、今現在そこまで気合の入った連中も見なくなった。

 

 

彼らと大人になり再開することがあったが、彼らは1つの事業を起こすために各々仕事でお金を稼ぎ、何年か後にまた集結して自分たちの事業を始めたとのことだった。

 

 

今、そのような気合がある若い人たちがどれくらいいるのかは分からないが、面白い逸話である。私も、ある意味では同じ穴の狢。気合を入れて事業を起こすまでに至りたいし、今やっているデザイン業界で少しでも早く目を出せるように悪戦苦闘するつもりである。

 

 

お盆、長崎は精霊流し。長崎県各地巡りの旅出発まで残り1時間40分!!!

私と小学生のチビ達2人と婚約者の彼女、そしてウチの母、

私達家族は、今日、長崎へと旅立つ。

 

しかし、ここに至るまでの何週間でも母とは、人知れぬ激闘があった。

B型、自由奔放で気の強い母は、色々と優しく私達には接してくれているはずだった。

 

 

娘が大変な時に田舎に預かってくれ、娘の世話をしてくれるまでは、

良い話しなのだが、そこからは、母の独壇場だ。

 

 

娘がワガママを言い、もう見切れないと見切りをつけると、

日曜日の夕方であろうとも母には、関係はない。

日曜日の夕方、明日から仕事を抱えている私と彼女には酷な話しになると

分かっていても迎えに来てコールがかかってくるのだ。

もちろん、これが初めてでもないし、一回や二回でもない!!

なかなかなありがた迷惑である。

 

 

そして、私は、怒りを抱えたままラインをブロックし、

携帯を着信拒否にしたままお盆を迎えていた。

さすがに、13日の夕方出発の日になるとブロックも着拒も解いたが、

今日、母に会うまでは不安だった。

なぜなら、3泊4日母と一緒に動くことになるのだから…

 

 

私は、今日、日中は自分のしたい事をしてゆっくりして、

チビ達が児童クラブから帰って来るのと、彼女の仕事帰りを待っていた。

そして、準備が終わりいよいよ出発だ。

私も彼女もチビ達までテンションが高い高い。

1番下の長男はうるさくふざけっぱなしだ。注意するのにも疲れる。

母との待ち合わせ場所に着くまでに、私達はチビ達のお守りでヘトヘトになった。

 

 

母は、鹿児島は溝辺空港近くのパーキングに停めて、

こっちに乗り込んで来るのだが、軽トラで田舎から溝辺空港まで来たのだから

パワフルである。

この前の喧嘩は、旅行のウキウキと母の生まれつきの性格の為、

もうすっかり忘れさられていた。

 

母の荷物を軽トラから私の車に移したが、

母は旅行の際荷物が多いタイプみたいで三往復はした。

もちろん、彼女とは顔を見合わせて笑ってしまった。

そして、同じ車に乗り込んでいざ出発した。

 

出発から、お盆という事もあって、死んだ尊敬する父の話しや、

昔の話しなどで車内は盛り上がり、2、3時間走った熊本の

宮原インターチェンジで仮眠を取る事にした。

チビ達は、昼間遊び回っているせいもあってか、どんな姿勢でも眠れるが、

乗用車に5人で乗っての車中泊はなかなか厳しいものがある。

最初は、皆なんとか寝る姿勢を見せていたが

母が最初に諦めサービスエリアの中に、そういうわけにもいかないので、

後部座席を占領しているチビ達2人と寝ていた母に助手席を譲り、

彼女と2人遅い夜食の熊本ラーメンを2人で分けっこして食べ、

今は、サービスエリア内のベンチに座り、彼女は、こくりこくり私は、

この文章を書いている。只今の時刻午前3時4分である。

 

 

さあ、果たして幕開けは、まずまず悪くはない旅立ち、

この3泊4日の家族5人鹿児島発、長崎行きの旅行は、どうなる事だろうか?

Advertisements

Occasionally, some of your visitors may see an advertisement here,
as well as a Privacy & Cookies banner at the bottom of the page.
You can hide ads completely by upgrading to one of our paid plans.

UPGRADE NOW DISMISS MESSAGE

名刺作り請け負います。今なら特別価格にて承ります!

名刺作り請け負います。

今なら特別価格にて

承ります!

デザイナー記念

名刺作りたい人必見❗

他にもDTP作成、印刷物リクエストあれば作ります。

詳細もっと知りたい方はDM下さい。

プロデザイナーの

デザインの名刺など

いかがでしょうか?

通常作りますと

一万二、三千円かかりますが

 

今回

デザイン料六千円で

二案請け負います。

印刷料、紙代

は別途、約数千円

かかりますが、

枚数は多い方が必ず

得をします。

プロのデザイナープレゼンツのオリジナル名刺。

今なら一生懸命、愛情込める

代金はいただきません

😄笑っ

そろそろ毎日見飽きた

名刺を一新しませんか?

名刺は、会社の顔です!

意見や要望、注文、指摘も

幾らでも聞けます。

ご検討をお願いします。

Advertisements

Occasionally, some of your visitors may see an advertisement here,
as well as a Privacy & Cookies banner at the bottom of the page.
You can hide ads completely by upgrading to one of our paid plans.

UPGRADE NOW DISMISS MESSAGE

今、プロのデザイナーになりスタートラインに立って、先を見つめ思うこと

 

ここに至るまでの経緯を少し話させて貰いたいと思う。私は、38歳で独身、

2人の幼児持ちのアシスタントデザイナーだった。

約1年前に今のデザイナー会社の門を叩き、プロのデザイナーを目指し毎日、

往復2時間半の通勤路で足しげく通った。

 

右も左も分からない中で、会社に入社した一番手の社員として、

期待されながら必死にパソコンの画面にかじりつく毎日。

師匠は、紙の分野では熟練した人で、それはこと細かに

優しく色々な技術や知識を教え込んでくれた。

 

この会社の社長は、20代ながら社長になったという実力者だった。

そして、その2人のノウハウを撤退的に教え込まれ、

激しい2回、3回の挫折を味わいながら、

その中で職場外で他の分野に活躍する人達に救われ、

奮起しながら1年経った今。私はプロのデザイナーになることができた。

 

 

名刺のデザインに始まり、チラシ、ハガキ、ロゴ制作、ラインスタンプ作り、

バナー制作、LPデザインなどなど色々な仕事の中で技術、センスを磨き上げた。

 

とにかく、まずは16GBのUSBがいっぱいになるまで作り続けた。

 

育児に関してもそう。当時、保育園に通っていた2人の教育や、

身の回りの世話、各月にあるイベントに片親としての責任を果たす為顔を出し、

今やその2人も小学生になり昔とは少し違って落ち着いてもくれた。

 

そして、その生活を助けてくれた婚約している彼女の日々の支えの中、

今、私はこうやってプロのデザイナーとしてのスタートラインに立てたのだ。

 

 

そんな今、私は、クライアントさんに営業をかけ案件を頂けるようになった。

我が社の社員の中では始めてのことである。

その中で私が思うこと、デザイナーに必要なスキルとは??

 

デザイナーに必要なスキルとは、デザインを楽しむ事。

デザインすることが好きであるという事というシンプルな答えであった。

 

それに気づけた私は、これからも大切なかけがえのない家庭や

自分のこれからの楽しい良き未来に向けて2時間半の長いドライブを楽しみ、

デザインを楽しんでクライアントさんを喜ばせるデザイナーになりたい。

Advertisements

Occasionally, some of your visitors may see an advertisement here,
as well as a Privacy & Cookies banner at the bottom of the page.
You can hide ads completely by upgrading to one of our paid plans.

UPGRADE NOW DISMISS MESSAGE

鹿児島水族館に婚約者のウチの「中2病」真っ只の末っ子、とウチのチビ達とで訪れて考えさせられた出来事…

f:id:k-taniguchi-1234:20161211165840j:plain

婚約者の末っ子と私は、午前中の時間を婚約者に連れて行ってもらった床屋さんで過ごした。と言っても、スピードカットで済ませた私たちの髪は、プロの床屋さんにものの10分で整えられた。

 

10分で済ませられたからと言って、私たちの髪型は適当ではなく、いい感じに仕上がって、新旧のいい男が出来上がっていた。

 

新旧のいい男と婚約者、チビ達の私たちは、海の見える公園で婚約者の作ってきた美味しいお弁当を食べて、昼から行く水族館への準備をしていた。

 

 

 

ご飯を物凄い勢いで食べた婚約者以外の皆んなは、彼女が食べるのを待って、水族館に向けて走る車に乗った。

 

婚約者の末っ子と床屋の際にも話しかけたことは話したが、何せ中3の末っ子は、「中2病。」末っ子に話しかけても何かにつけて少し癪に触るといった感じだ。

 

水族館に行って、私は私のチビ達を引き連れながら婚約者に話しかけようとすると、中2病の息子は、まるでバスケットボールのカバーをするようにピタリと婚約者と私の間の壁となって立ちはだかる有様。水族館内を歩く際も、婚約者の隣には常にベットリの中3の末っ子…

水族館を出た後もチビよりも婚約者にベッタリな地点を歩く末っ子。

 

 

親友からも、このような最近の子の話は聞いてはいたので、これか!と思った。最近の子は「中2病」の時期はあるらしいが親にはベッタリみたいだ。私たちの頃は、親から離れたい、親と一緒にいるのは恥ずかしいといったのがあり、離れて行くのが反抗期だと思っていたが、昔の常識は今はないみたいである。

 

 

ともかく、私も人間、面白くなかったので距離を取り、私はウチのチビとチビが言うままに水族館は回った。なかなか難しいのが「中2病」というものだ思っていた。

 

婚約者は、多分いつもあの調子で近くにベッタリいるから気づいてないはず、とは言ったが、私は、これが母親を違う大人に取られまいという中学生にできる最大の「中2病的反抗」だったのだろうと私は思っている。

 

 

 

 

ウチのチビ達は小さいが長女と長男。婚約者の末っ子は大きくても末っ子。その感じ方や境遇も色々あるのだから、柔軟な対応が求められるなと感じたのだった。

 

その時は、さすがに正直カチンとはきたが、だが真面目に色々と考えさせられた出来事ではあった。

 

 

恐るべし甘えっタレの「中2病」

 

なお、向こう水博士は、たにやん (id:k-taniguchi-1234)

にお引越しさせて戴きます。

 

これまでのご愛好ありがとうございます。

これより たにやん をよろしくお願いします。