向こう水博士

向こう水博士は、世の中のあらゆるテーマに対し率直に素直で真摯な意見を考える、いわば人生を好転させる福の神のような存在です。宜しくお願いします。

育メンパパ

鹿児島水族館に婚約者のウチの「中2病」真っ只の末っ子、とウチのチビ達とで訪れて考えさせられた出来事…

婚約者の末っ子と私は、午前中の時間を婚約者に連れて行ってもらった床屋さんで過ごした。と言っても、スピードカットで済ませた私たちの髪は、プロの床屋さんにものの10分で整えられた。 10分で済ませられたからと言って、私たちの髪型は適当ではなく、…

五島列島での幼少時代 その2

私の小さいころ私は、五島列島の自然の中で育った。五島列島の自然は私たちには、雄大で色々なものを与えてくれていた。 私たちは、大抵、4、5人の仲間で遊ぶようになっていた。ある日、小学校の裏山にあるダムの先へと進む道を皆んなで行ってみようという…

父の車に乗って

私は、小さい頃「後ろに乗りなさい」と言う母の声を後ろに「お父さん、お父さんの運転を見たいから助手席に乗っけて」と父に言っては、父の助手席をいつもゲットしていた。 父の安心できる車の運転に乗りながら、街の看板や、標識の文字を読むのが好きだった…

五島列島での幼少時代 その1

私は、小学二年生の夏休みに神奈川県から、長崎県の五島列島に引越しをした。 私の記憶が確かなら、親は、神奈川から長崎の五島列島までの道のりを車で二人交代で運転したはずだ。 一度、大阪で親戚のおばちゃん家に泊まり、五島列島まで二日がかりで行った…

家出先は、ハウステンボスのカウントダウンparty パート3

朝、気の良さそうなアメリカ人海兵に起こされ私は起きた。「俺はベースに戻るけど一緒に来るか」という。言われるがままに、ベースへの道を2人で歩いた。彼の名前を忘れてしまったが、軍を辞めたら絵描きになりたいということを話したり、もっと私の英語が…

中総体 minutes単位の桜木花道

中学校時代、私はバスケ部に所属していた。私たちの部活は先輩からの風当たりも強く、先生のコーチングも厳しかった。そういうこともあって、最初いた30人近くの部員も何人もの部員が辞めていく中、私たちの学年7・8人は残った。私には、あまりバスケッ…

家出先は、ハウステンボスのカウントダウンparty パート2

駅よりハウステンボスへの道を進んでいた私だが、親の元を飛び出すのが先決で時間など全然見ていなく、待ち合わせ時間まではとんだフライングだった。待ち合わせた時間は夕方の7時なのに私は昼の3時、4時頃にはハウステンボスに到着してしまったのである…

帆船パーティーwith オーストラリア女子♡

高校二年時の春休みに行ったオーストラリアのホームステイより、私は海外の虜になっていた。 高校を訪れたシンガポールとマレーシアの留学生のホスト役も仲のいい友達と買ってでたし、もちろん、その娘達が国に帰っても情報交換の文通をオーストラリアのペン…

再投稿 高校2年生時、春休みのホームステイはオーストラリア、シドニー近郊で

私は、高校一年生時にオーストラリアホームステイのパンフレットを貰い、一年間の成績が80点以下を取らないのを約束になら、行ってもいいという許可を貰った。 それから、一年間、一生懸命勉強に打ち込み見事、オーストラリアへのチケットを手に入れた…と …