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向こう水博士

向こう水博士は、世の中のあらゆるテーマに対し率直に素直で真摯な意見を考える、いわば人生を好転させる福の神のような存在です。宜しくお願いします。

介護士の素性、病院内ワークの実態…パート2

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私が、初めての介護業務を行ってから約3、4年が過ぎ、また、喫茶店でのバイトに戻っていた私は、そろそろ将来のことも考えないといけないということで、親しい友達や知り合いに何の仕事が私には合うのかを相談してみた。「介護の仕事をしていた時が一番キラキラしていたよ。」とう意見があった。案外、そうなのかもしれないし、また、あの仕事に挑戦してみたいという気持ちは確かにある。

 

私が、バイト先の店長に「今から、ヘルパー二級の資格を取って、車の免許も取り、介護士になるので、辞めさせてください」と言うと、当時、コーヒーショップには社員がいなく、店長不在の店舗もあったので、後から聞いた話によると、そこの後釜にと働かせていた私が辞めると言った時、店長は激怒していた。

 

しかし、店長の上のアドバイザーの方は、「やりたいことが決まっているならいいじゃないか」と店長をなだめてくれ私を快く送り出してくれた。

 

 

私は、口にした通り、ヘルパー2級の講座を全て受け、実習にも参加して、ヘルパー免許を取り、車の免許も取った後、程なくクリニックに就職したはずだった…

 

というのは、正社員で雇われたはずだったのだが、事務は本当はパート社員を募集していたのだが、手違いがあったらしく、最初はパート扱いでいいかと聞かれ、流れ的にそのようになってしまった。

 

 

1時間かけて、高校の時と同じ道のりを通勤する。今回、介護の仕事をするにあたって10数名の同僚がいたが、私と同じ病棟勤務をするのは1人である。

 

ちょっと冴えない優しい同僚と、私は、最初は、若い看護婦さんについて色々な業務を習ったり、送迎について行ったりして、病院に慣れ始めた。

 

習ってきた介護技術で毎日オムツ交換やトイレ誘導、服の着替え、お風呂入れや食事介助もこなせるようになり、バテバテに疲れながらも一生懸命、今回の病院では、お年寄りのために介護の仕事をさせて頂いた。

 

 

 

仕事の帰り、いつも通っている英会話スクールに寄るが、疲れてソファーにもたれかかっていると、女友達が、「介護の仕事始めたんだって、すごいじゃん。でも、あなたがそれだけ疲れるのだから大変そうね。」と言う。「でも、いい顔してるよ」とマネージャーさん。いつもバイト上がりに遊んでいた外国人教師たちも賞賛してくれている。

 

そんなこんなで、毎日、看護婦さんや、先輩介護士にアドバイスや指導を受けて、最初の頃こそ、オムツ交換でおじいちゃんに触るなと頭を叩かれたりもしていたのが、最近では、任せてくれるようになり、トイレ誘導中にお婆ちゃんにおしっこを制服にかけられ、家族にしきりにすいませんと言われても「おしっこは、出た方がいいですもんね〇〇さん」とうまく切り替えしができ、退所する時には、わざわざその家族がお礼を言いにくるくらいまでになった。

 

そして、帰る間際にいつも私のお部屋に寄ってね。というお婆ちゃんのファンもできてうまく業務もこなせるようになっていった。

 

そん感じで上手く介護の仕事にも慣れ、とうとうあの問題の夜勤業務が来た時にも、ナースコールの飛び交う中、あちこちと走り回り、仲良くなった看護婦さんたちとおやつを持ちより、合間合間につまんでは、朝方にご飯を炊いて、味噌汁と簡単な朝食を済ませて、朝の業務に取りかかり過ごせた。

 

 

そんなこんなで、二回目の介護の仕事は成功かに思えたのだが、そんな折、父の転勤が決まり、鹿児島に行かなくてはいけなくなったのだ。しかし、先ほども話に上がった。パートの形と、父の病気の問題で私は母と話した結果、着いていかざるをえなくこの介護業務もリタイアしたのだった。

 

 

しかし、確かに手応えを感じた私は、嬉しいのと同時に、今までのこの日本を作ってきた先人の方たちに恩返しをしたいとして働いた介護の仕事をさせて頂いた喜びに打ちひしがれていた。

 

大先輩、今私たちはあなた方の支えの中で生きてます。