向こう水博士

向こう水博士は、世の中のあらゆるテーマに対し率直に素直で真摯な意見を考える、いわば人生を好転させる福の神のような存在です。宜しくお願いします。

介護士の素性、病院内ワークの実態…

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私は、二度に渡り介護の仕事を2つの病院で経験したことがある。1つ目は、長崎でも随一の、そこの院長が医療・福祉会に意見を出すと通らないことはないという、大きな病院だった。

 

 

そこに私が勤め始めたのは、まだ私が本当に若い時20代前半かという時であった。当時、そこに勤めるに当たって、私には2人の同僚がいた。

 

1人は介護の仕事にスポーツカーで来る派手な同僚、そして、もう1人は地味な真面目そうな女の子だった。彼は、キザで目立つしシャクな奴なので、同じ病棟勤務にも関わらず、彼とは距離を置いていた。

 

その代わり、彼女とは年も近いし、真面目な語り口に親近感が持てたので、たまに一緒に通勤時間が重なると一緒に通勤したり、休み時間にはお互いに情報交換などのために、違う病棟勤務だが喫茶店で会っておしゃべりなどをしていた。

 

 

私は、特に最初から介護士という仕事に興味があったわけでもなく、福祉に関してその当時詳しい知識があったわけではなかったが、とりあえず、毎日先輩の言う通りに働いた。間もなく、同じ棟の作業療法士さんからお声がかかり、今度主催するあ誕生日会で皆んなの前でかぶり物をして踊ってみないかといわれた。老人保健施設などではよくあることである。

 

それから、仕事の後には、毎日、練習が待っていて、踊りや振り付けを練習した。ほとんどのダンスは、ぶっつけ本番に近いものだったのだが、お誕生会は成功に終わり。私のイベントでの物怖じしなさやダンスは評価された。

 

 

そして、普通の勤務に戻る。私は、オムツ交換が大嫌いだった。汚いからとかいう理由ではない。看護婦さんやベテラン介護士さんが朝の勢いに初心者の私はついていけなくて、苦手になっていたのである。

 

 

私は、いつしか朝のオムツ交換の時間に腹痛を催すようになっていた。トイレに駆け込み、トイレの番をする。そして、終わった頃にトイレから出てくる。それがまるで日課のようになっていた。

 

ある日、ベテラン看護師さん他の病棟から移ってきたヤンキーっぽいような看護師さんが、私たち新人を集め、介護技術の勉強会を開いて上げるから分からないことがある人はお出でと申し出てくれた。

 

私は、この期にオムツ交換を克服しようかと思い、仕事後のこのレクチャーに参加した。先輩は事細かにオムツ交換や、体位交換、着替えのさせ方などを何日かに分けて指導してくれ、帰りは土禁の車でバス停まで送ってくれたりもした。お陰で、私のオムツ交換嫌いは克服された。

 

 

こうして、このような毎日が1ヶ月、2ヶ月、と続いていくうちに私にはお給料が入ってきた。バイトで稼ぐ給料とは比べものにならない額である。

 

そのうち、私は仕事の単調さに慣れてしまい、ゆっくりとした老人保健施設でのお年寄り相手の生活に飽きが来て、仕事帰りまっすぐ家に帰らずに、飲みに出るようになっていた。若気の至りで飲みの回数は増え夜の街が楽しくなっていた。

 

たまには、朝方まで飲み、始発のバスに間に合わずタクシーで通勤したりして、仕事帰りの看護婦さんに驚かれたりした。「若いね〜、それでも出勤するから偉いよ」などと言われ、少し有頂天になっていた私は、それがあまりいい方向性ではないことになかなか気付かないでいた。

 

 

 

そして、3ヶ月目いよいよ夜勤が入るという月、私は疲れが溜まって倒れた。先輩が掃除機をかけている時に、倒れた私に気づいてくれ、車椅子で運び、多くの看護婦さんたちに処置をしてもらいながら、気がつくと、「疲れてるみたいね。しばらく休みなさい」と婦長さんに言われ、休暇を頂いた。

 

私は、その休暇以来、ぐったりした溜まった疲れと恥ずかしさで、その病院に出勤することはなくなってしまった、しかし、この病院での様々な経験は、後でも私を生かしてくれることになる。

 

 

 

…to be continued