向こう水博士

向こう水博士は、世の中のあらゆるテーマに対し率直に素直で真摯な意見を考える、いわば人生を好転させる福の神のような存在です。宜しくお願いします。

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今、プロのデザイナーになりスタートラインに立って、先を見つめ思うこと

 

ここに至るまでの経緯を少し話させて貰いたいと思う。私は、38歳で独身、

2人の幼児持ちのアシスタントデザイナーだった。

約1年前に今のデザイナー会社の門を叩き、プロのデザイナーを目指し毎日、

往復2時間半の通勤路で足しげく通った。

 

右も左も分からない中で、会社に入社した一番手の社員として、

期待されながら必死にパソコンの画面にかじりつく毎日。

師匠は、紙の分野では熟練した人で、それはこと細かに

優しく色々な技術や知識を教え込んでくれた。

 

この会社の社長は、20代ながら社長になったという実力者だった。

そして、その2人のノウハウを撤退的に教え込まれ、

激しい2回、3回の挫折を味わいながら、

その中で職場外で他の分野に活躍する人達に救われ、

奮起しながら1年経った今。私はプロのデザイナーになることができた。

 

 

名刺のデザインに始まり、チラシ、ハガキ、ロゴ制作、ラインスタンプ作り、

バナー制作、LPデザインなどなど色々な仕事の中で技術、センスを磨き上げた。

 

とにかく、まずは16GBのUSBがいっぱいになるまで作り続けた。

 

育児に関してもそう。当時、保育園に通っていた2人の教育や、

身の回りの世話、各月にあるイベントに片親としての責任を果たす為顔を出し、

今やその2人も小学生になり昔とは少し違って落ち着いてもくれた。

 

そして、その生活を助けてくれた婚約している彼女の日々の支えの中、

今、私はこうやってプロのデザイナーとしてのスタートラインに立てたのだ。

 

 

そんな今、私は、クライアントさんに営業をかけ案件を頂けるようになった。

我が社の社員の中では始めてのことである。

その中で私が思うこと、デザイナーに必要なスキルとは??

 

デザイナーに必要なスキルとは、デザインを楽しむ事。

デザインすることが好きであるという事というシンプルな答えであった。

 

それに気づけた私は、これからも大切なかけがえのない家庭や

自分のこれからの楽しい良き未来に向けて2時間半の長いドライブを楽しみ、

デザインを楽しんでクライアントさんを喜ばせるデザイナーになりたい。

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鹿児島水族館に婚約者のウチの「中2病」真っ只の末っ子、とウチのチビ達とで訪れて考えさせられた出来事…

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婚約者の末っ子と私は、午前中の時間を婚約者に連れて行ってもらった床屋さんで過ごした。と言っても、スピードカットで済ませた私たちの髪は、プロの床屋さんにものの10分で整えられた。

 

10分で済ませられたからと言って、私たちの髪型は適当ではなく、いい感じに仕上がって、新旧のいい男が出来上がっていた。

 

新旧のいい男と婚約者、チビ達の私たちは、海の見える公園で婚約者の作ってきた美味しいお弁当を食べて、昼から行く水族館への準備をしていた。

 

 

 

ご飯を物凄い勢いで食べた婚約者以外の皆んなは、彼女が食べるのを待って、水族館に向けて走る車に乗った。

 

婚約者の末っ子と床屋の際にも話しかけたことは話したが、何せ中3の末っ子は、「中2病。」末っ子に話しかけても何かにつけて少し癪に触るといった感じだ。

 

水族館に行って、私は私のチビ達を引き連れながら婚約者に話しかけようとすると、中2病の息子は、まるでバスケットボールのカバーをするようにピタリと婚約者と私の間の壁となって立ちはだかる有様。水族館内を歩く際も、婚約者の隣には常にベットリの中3の末っ子…

水族館を出た後もチビよりも婚約者にベッタリな地点を歩く末っ子。

 

 

親友からも、このような最近の子の話は聞いてはいたので、これか!と思った。最近の子は「中2病」の時期はあるらしいが親にはベッタリみたいだ。私たちの頃は、親から離れたい、親と一緒にいるのは恥ずかしいといったのがあり、離れて行くのが反抗期だと思っていたが、昔の常識は今はないみたいである。

 

 

ともかく、私も人間、面白くなかったので距離を取り、私はウチのチビとチビが言うままに水族館は回った。なかなか難しいのが「中2病」というものだ思っていた。

 

婚約者は、多分いつもあの調子で近くにベッタリいるから気づいてないはず、とは言ったが、私は、これが母親を違う大人に取られまいという中学生にできる最大の「中2病的反抗」だったのだろうと私は思っている。

 

 

 

 

ウチのチビ達は小さいが長女と長男。婚約者の末っ子は大きくても末っ子。その感じ方や境遇も色々あるのだから、柔軟な対応が求められるなと感じたのだった。

 

その時は、さすがに正直カチンとはきたが、だが真面目に色々と考えさせられた出来事ではあった。

 

 

恐るべし甘えっタレの「中2病」

 

なお、向こう水博士は、たにやん (id:k-taniguchi-1234)

にお引越しさせて戴きます。

 

これまでのご愛好ありがとうございます。

これより たにやん をよろしくお願いします。

長崎は五島列島での島での幼少時代の過ごし方、楽しみ その3

五島列島上五島という島に移り住み、3、4年が経ち。僕たち児童が、5・6年生になる頃には、僕たちにはある程度いつも遊ぶ仲良し悪ガキグループができていた。

 

何をするにも一緒、どこに行くにも一緒というような結束の固い悪ガキグループだ。ある日、席替えでその仲良しの班が変わってしまった。

 

 

 

それからは、お別れ会と題したお別れパーティーが繰り返し何回も何回も行われるようになった。

 

おもちゃ屋さんの娘の友達のウチに集まり、当時流行していたファミコンでマイクタイソンのボクシングゲームを交わりばんこにやりながら、そのおさげ髪の娘のお母さんが出してくれるオヤツをほうばりながら遊ぶ毎日。ゲームに飽きると、川に行き、魚釣りをしたり、自転車でチャリンコ暴走族をしたり、川遊で水浴びをしていた。

 

 

【自給自足生活壱岐は良いところですよ! ご近所から野菜をいただきお魚もいただき 物々交換ができます。 信頼と信用暮らせるとても良いです!

 

 

僕たち、男子グループは今という時期ファミコンに夢中で、ファミコンをできる家を探しながら友達の家を回っているような状況だった。

 

しかし、それには厳しい親の規制があり、なかなか難しかった。そういうことで、私たちの新しい流行り遊び、ミニ四駆で遊び始めたのだ。

 

 

当時、タミヤが出したミニ四駆は、日本中で空前の大ヒットとなり、小学生の間でも、ものすごく流行していた。600円くらいでスターターキットを買うことができ、それにオプションを追加して装備を増やしていく。そして、公園の砂場の外周などでレースをして楽しむのだ。

 

私は、初期の頃からミニ四駆に凝り、様々な趣向を凝らし楽しんでいた。熱を出して寝込んでいるときにも、本を見てこのタイヤにこのローラーをつけて、あのモーターが欲しいと考えているくらいだった。

 

ある時、新しく発売されたアバンテというモデルがとてもそれはとても欲しかった。親から貰ったお小遣いでお店を回るが島の田舎の店には置いていない。

 

母に頼み、隣町の青方というところまで、車で連れて行って貰い。探しに行く。しかし、店の店長は「残念ながらウチにアバンテは入荷してないよ」とぶっきらぼうに顔を背けて言う。それを見ていた母が「隣町から1時間程かけて探しに来たのです。本当にどこにもないでしょうか?」と母がもう一度尋ねると、店長さんは何か考えた表情をして、棚からアバンテを出してくれた。

 

 

周りの地元の小学生もざめきつ立つ、かくして僕は、念願のアバンテを手に入れたのだ。しかし、小学生の興味などそうそう長続きはしない。次にきた、エアガンブームに僕たちは次々と新しいオモチャを追い続けて行った。

 

 

 

しかし、いつでも島の遊びの中には常に山、川、海での遊びがあり、それらは決してお金がかかることもなく、親に叱られることもなく、そして、豊かな自然は僕たちの身体をたくましく作ってくれた。

 

そして、僕たちの思い出の中に残っているものというものは、その中にあるような遊びにあった。

 

 

 

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久しぶりの投稿へとダイブ!!近頃のライフスタイル。。。

今日、仕事から帰って来て考えたこと。

デザインのテキスト作成スピードアップの為、ブログを出来るだけアップし、文章を書くこと。とにかく、パソコンに触ること。Boot CampしているMacイラレが入っているので、もし容量がギチギチの場合ハードディスクに接続して新たにPhotoshopを動かせるかどうか??を風呂上がりのビールを飲みながらおぼろげに考えていた。

 

 

私は、この投稿が久しぶりだということには、訳がある。今まで、一年前ほどのことであるが、私の仕事内容はライティングだった。が、もちろんそこにいた時にも私はグラフィックデザイナー志望ではあった。しかし、社の方針で内容のガラリと変わってしまったライティングの仕事を泣く泣くしていた。

 

デザインすること、画像や、写真に興味のあった私にとって、自分に興味のない文章を読んでリライトするライティングは何も興味をそそられるものではなかった。なので、私は次のIT系会社に渡った。デザインの仕事をするために。

 

 

が、しかし文章を書くのは好きなのであろうと今思う。タイピングも嫌いではないらしい。

 

かくして、私は、今からブームが来るかもしれないライティングの仕事を投げ、このデザイン業界に足を踏み入れた。それが、かれこれ一年前の話である。久しぶりのこのライティングは近況報告等になってしまったが、次回書かせていただく時には、その後、私の身に何があり、どのような一年を過ごしてきたかを面白いところから出し惜しみせずに書いてにいこうと思う。

 

 

 

 

 

武道という道

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日本には様々な武道が昔からある。空手道、柔道、合気道、剣道、弓道薙刀。パッと思い当たるだけでもこれくらいはあるだろうか。

 

 

私は、幼い頃、近所の友達に連れて行ってもらって、剣道を見学に行った。しかし、あまりの待ち時間も長さと待っている間に読んでいた、剣道漫画で全てが分かったような気がしてその場を後にした。

 

私が、中学生の頃に気になったのは柔道部、筋トレに興味を持っていたのをきっかけに柔道部の先輩方が筋トレをしているのをいいなあなどと見ていた。入りたかったが、その時は足が遠のいた。

 

次は、高校生の頃、電車で街に向かう途中にあるテコンドーの道場だった。高校の頃、空手をやっていたという友達と組み手や、半戦いの相手をしてもらっていた時に。他の友達なんかが、私は「足が上がるからテコンドーやればいいのに」と言われたのもきっかけの1つだった。

 

しかし、その時のテコンドーも喧嘩に使うのではないかとか、試験前に怪我されたら困るなどという母の心配の前に話はなくなった。

 

それから、また私は懲りずに、20歳前後の頃に合気道の道場にいた。合気道はまた柔道や、剣道とは違って面白く目に移り、ガタイがいい人がやっているとも限らず、面白かった今度こそは思い、親に頼んでみたが、またダメだった。

 

 

22、3歳の頃に私は、ちょうどちまたでK-1やプライドが流行ってる頃、私は総合格闘技の道場に、知り合いと通うことになった。知り合いはテコンドーをベースにしている人で格闘技歴もあった。

 

私といえば、言わばこの道場では初心者ストリートファイターのようなものだ。この道場には、学校で、サッカーや、ボクシング、柔道をやっている高校生が多かった。中には、アマチュア総合格闘技第3位の強者などもいたが、相手にはならない。

 

 

結局、準備運動を済ませた後、私は私の母校で柔道をやっている後輩と寝技のスパーリングを始めた。柔道をやっているだけあって、腰が強い、しかし柔道の投げの駆け引きにはちょっとした自信があった私は、あっという間に相手をねじ伏せた。

 

その後は、相手がタップするか時間が経過するまで抑え込むのがルールだが、抑え込むのを柔道家はそう簡単に許してくれない。結局、時間終わり間際、息が上がったところを袈裟固めで反対に押さえ込まれてしまった。

 

 

次は、また違う選手との座ったままのボクシングである。ほとんど、反射神経で避けるとか、タイミングを狙って打つとかという感じでではなく、兎にも角にも手数が多い方の勝ちである。これには、打つということに関してスタミナに自信のある私は、3分間一方的に打ち込み勝利した。

 

 

 

すると、それを見ていた、キックボクシングをやっている青年が来て、8オンスのグラブでスパーリングをやろうと言う、安請け合いの了承をして、武道館の畳の上でスパーリングが始まる、強い選手らしくジャブだけで攻めてきて、こちらの攻撃は当たらない。そんなこんなしてると、埒があかないと思った私は、ワン・ツー・スリー・フォーと踏み込んで、何回も連打を打ち始めた。

 

 

すると、急に距離感が掴めなくなった相手の顔にパンチがヒットする。相手はびっくりして下がったが、首を横に振り効いてないよとジェスチャーする。しかし、周りは、来たばかりの私がそこまでやるとは思ってなく、「おおーっ」と歓声を上げている。

 

スパーリングの結果は聞かずとも知れた、私の大敗だったが、足跡は残せた。

 

それから、私は格闘技と離れていたのだが、長崎や、鹿児島で外国人と触れ合うことがあり、私が日本の文化で伝えることがあるとしたら、何を伝えれるだろうと思った時にここ鹿児島で空手を始めたのだ。

 

 

私は、その空手道場で4年間鍛錬をしたのだが、強くなることだけではなく、礼儀作法や先輩との付き合い方、身の正しい置き方、精神鍛錬を空手から学んだように思う。

 

若い頃は大会で3度優勝したことのある師匠がいつか言っていた。空手は一生の内に一度か二度、使うかもしくは使わない方がいいものである。どうしても、使わざるを得ない時のために、技を磨き、鍛錬をし、精神を鍛えるものだと。

 

 

 

私は、空手を通して、手を出さないで解決することの大事さ、しかし、世の中には空手を使って武で守らなければならないことも確かにあるということも勉強した。

 

武道という道、奥が深いと思う。

 

 

 

 

 

最後になりましたが、しばらくの間、はてブロの投稿の方が休みがちになります。

というのは、ひふみよベース紫原という会社、私の通勤している会社ですが、

そこで、作っているWebニュース ひふみよタイムスにて投稿作業をするため

そちらに重きを置きます。

 

ちなみに、ひふみよタイムスは、スマートフォン、アンドロイドのアプリで

ダウンロードできます。私のひふみよタイムスでのブロガー名は

飛べる感じのピーターパンです。

 

ひふみよタイムスの飛べる感じのピーターパンもこれからもよろしくお願いします。

帰ってきた、時計。そして、場を繋いでくれた父の形見の時計

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私がいつもはめているお気に入りの腕時計は、私が鹿児島にやってきてしばらくした頃にバイトで一生懸命働いたお金で、今のマルヤガーデン以前にあった三越で購入したものだ。

 

当時では珍しいソーラーパネル電波時計G-SHOCKだった。私はそれを気に入り、今の今まで大切に使ってきた。かれこれ、10年近くなる。

 

abck50 on Twitter: "「カシオだし。日本製だし」イギリス人が庭で無くして20年ぶりに見つけたというカシオの腕時計の頑丈さに海外も驚愕 : すらるど - 海外の反応 https://t.co/9nyYb4Vf2G 日本人の魂を取り戻そう"

 

その電波時計が今回止まってしまった。最初は電池が切れて太陽エネルギー不足なのかと思っていたが、しかし、いくら太陽にあてても、光にあててもなおらない。

 

 

仕方なく、モールに入ってる2階の時計屋さんに持っていくと、「版が壊れてるのかもしれませんね。修理に出しますか?」と聞いてきたので、お願いした。

 

その間、時計がなくなるわけだが、その間の代役として父の形見の時計を使った。父の時計も電波のソーラー時計でなかなか、渋い作りをしていた。はめてみると、父の腕時計は軽く、最初、私の腕時計と比べると重さが物足りなく感じた。

 

 

その後、1ヶ月経っても時計屋からの連絡は来ない。その頃には、父の時計にも慣れ、傷を付けないように大事に使っていた。父の時計はつけていてもつけているような感じすらない自然な感覚だった。

 

私の腕時計は結局、2ヶ月近く経ってやっと戻って来た。無事な姿で。元どおり全ての装置が動くし、綺麗になっていた。

 

久しぶりに親友と会ったような気分に浸りながら、はめてみると、ズシッとはめている感があり、毎時ごとになるアラーム音もなった。やはり、この重量だとは思ったが、父の腕時計に慣れていた最近では、少し重く感じた。

 

 

しかし、自分の腕時計は、いい親近感が全然違う。父の代役の時計、父が生きていた時には父の時間を管理してくれ、父と時間を共にした時計に暫しの別れを告げ、また自分の愛用の時計とこれからの日々を連ねていく。

 

 

 

時計は一緒に時を重ねる親友だ。