向こう水博士

向こう水博士は、世の中のあらゆるテーマに対し率直に素直で真摯な意見を考える、いわば人生を好転させる福の神のような存在です。宜しくお願いします。

年配新人やら新人達。最終章

結局のところ、私の今回の話しで行き着いた所はこうだ。昨今の日本、今までの日本と異なる形式での評価の仕方がされてきている。

 

今までの日本がしてきた年功序列での評価方式にアメリカ式の実力者社会。そんな折に半端な力を持っていた年配新人には、1番目の社員として、それまで頑張ってやっていた社の先輩である私を舐めていたのだろう。

 

私は、勿論元来の性格より威張る事は無かったし、鼻にかけることもしなかった。それは、私が中学時代の部活で実力もない先輩が先輩ぶるのが嫌だったからだ。

 

それを良い事に今回のことは起きた。なるようにしてなったとしか思えない節もあるのだが。

怖い顔して、威張っておけば良かっただろうか?

 

これから先の事を考え、私が年配新人に優しく振った案件や、後輩に貸した本達が彼らに舐められる原因を作ったのだろうか?

 

https://youtu.be/sr--GVIoluU

 

彼らとは、1ヶ月くらい前だろうか仲直り的なものはした。しかし、私は2度と彼らに心は許さないだろう。

 

私にも心はある。しかし、嫌なものに合わせてやっていくほど穏健ではない、私の取った仕事はもちろん彼らにも振るが、彼らと今は上手くやっていこうとは思えない。

 

私は、社の先輩である。

 

日本人として先輩を敬う気持ちが彼らに生まれるまで、私は打て合わないことにした。

 

それが、私に出来る新人教育だから。

年配新人とベテランルーキーの攻防戦の行方、、、

結局、年配新人の1人男の方は、もう1人の年配新人の女に操られているだけであるから何もできない。彼は、以前からイラストレーターでイラストを書くのが趣味だったようだが、今でも社内でも趣味のお絵かきの練習をしている。

 

年配新人の女の方は、デザインをしていたのだが他の部署に一時的に逃げた。そして、逃げ終わった頃にデザインを認められたようだった。戻って来たいだろう。しかし、

2人共だが先輩であるアートディレクターの私が仕事を回さなければどうなるだろうとか考えたことはあるのだろうか??

 

年配でも新人はあくまでも新人、ベテランルーキーでもあくまでもベテランのルーキーには変わりないのである。

 

よくよく考えて行動はされたい。

 

上手くいく秘訣、私が激励としてかけた言葉を悪く取った年配新人、とその後とんでもない災難を浴びせられたベテランルーキーの行き着く先はフィクションではないので、実況をそのままをお伝えしていこうと思います。

 

さあ、お立ち会いお立ち会い。

年配新人とべテランルーキーとの攻防中盤戦

私は、上司デザイナーに仲裁に入られ、部下である年配新人に言ったことを指摘された。しかしながら、私が言った言葉というのは私が社長より言われた教訓だ。言葉に間違いはないし、事実であり、あえて言わせてもらえば先輩からの激励の言葉である。

 

それを、自分と同じ同僚レベルの文句くらいに取られてしまっては話にならない。要するに年配新人は、自分の立ち位置を理解できていないのだ。

 

私から言わせてもらえば、彼らが気に食わなければ彼らに仕事を振らないこともできる。実際、気にくわない。私が今、仕事を振っているか振っていないかは皆さんのご想像にお任せしよう。

 

私が、この社に入った頃は物品も何もなくパソコンすら揃ってなく、自分の持つMacを社に持ち込み棚やテーブル、本やパソコンを揃えるために一生懸命毎日、仕事をしたものだった。

 

しかし、後から入ってきた新人達には、そこにあるものは当たり前にしか映らないのだろう。悲しい現実である。

 

今、社内で皆んながどのように動いているかお教えしたいと思うが

これは、また次の機会に。

 

彼らは、わかっていない。年配新人だから認められない年齢なのかもしれない。できる自分よりさらにできる若い人たちもいるということも。そして、社内では若い人たち、ベテラン、年配の力が合わさってこそ社がうまく回って動くということを。

 

年配新人とベテランルーキーの攻防行方、、、

 

私は、年配新人のために仕事を振っただけである。年配新人はそれが出来ないからとやる前から、拒否をした。それが諍いの理由だ。

 

私には普通に非がないと思う。それは、仕事であるからだ。それから、彼らの嫌がらせが始まった。新人連合の派閥を持つ彼らはアートディレクターという営業の独り身の私にこれでもかというシカトをしたり、皆んなで固まって話すときにも徹底的に無視をした。

 

大して、彼らのことは好きでもなかったし、関わる必要もなかったが長くに渡り続いたので流石にこたえた。周りの関係無い連中も新人の彼らに同調するからである。

 

こういう時は、大人も小学生も一緒である。野次馬根性の輩が集まりだし、ことの原因もわからないまま囃し立て意味がわからない状態に陥るのである。

 

上司が仲裁に入ったが、相手は2対1の新人しかも女も含むである。私の負けは話が始まる前から決まっていた。やれパワハラだの、押し付けだの、特に注意されることもなかったが、今後、仕事を振るのは上司からという話で折り合いがついた。

 

この話は、これで終わりかと思われた。しかし、これからが苦痛の始まりだったのだ。

 

続く、、、

年配新人達とベテランルーキーの戦いの果てに見るものとは、、、

我が社には、次から次へと新人がやってくる。それは、我が社の社長が来るものは拒まず、去るものは追わずだからである。そうやって、我が社が出来た当時に一番に入社した私は今まで色々な新人を見てきた。

過去二年間にざっと30人は辞めただろうか、なかなかな社ではある。それだけ、人を惹きつける能力があると同時に、諦められる社でもあるからだ。

私は、入社して二年間の間に一からデザインを学び、プロのデザイナーになった。クライアントさんを自ら探し、案件を引き受け、結果を出し、印刷する。グラフィックデザイナーである。そんなこんなしてる頃に彼らは現れた。

年配新人男女の二人組だ。教育するには、少し難がある年齢である。彼らは、今までの新人と違い最初からある程度の実力こそあった。だからこそそれが災いした。彼らにはプライドが出来上がっていたのだ。ベテランルーキーだった私はその頃にはアートディレクターになっていたのだが、彼らは、自分の派閥を作り派閥内で固まった中で案件を選り好みし始めたのだ。

もちろん、アートディレクターの私は仕事が上手くいかず面白くない。彼らからすれば自分たちより若い私がアートディレクターなのが面白くないわけだ。そこは、第三者のすり合わせが必要そうであったが、誰も考えようなどとはしなかった。そして、勿論のごとく衝突。

年配新人イラストレーター、デザイナー、とベテランルーキーアートディレクターがぶつかるとどうなるのでしょうか??

さあ、お立ち会いお立ち会い。

クライアント様を確保出来るようになって。

私は、デザイナーの谷口です。以前のクリエイター事務所から始まり、かれこれ何年も今のデザイナーズ事務所に足しげく通いデザイン制作し、周りのデザイナー、プログラマー陣と切磋琢磨しながら毎日を過ごしています。

 

 

私がなんとか営業させて頂いたクライアント様を相手に仕事を始めたのは、起業を考えた頃からの話しです。練りに練った案で営業をかけたクライアント様相手のやり取りに始まり、連絡先を交換した後、テキストや画像、イラストの受け取り。見積もり書を作成、デザインをしての数回の打ち合わせの後に入稿し、印刷。そして、刷り終えたものを確認し、送付までの一連の作業をプロとしていっぱしに出来るようになったのは、師匠のお陰様様です。

 

 

そんな折、私には、度重なるチャンスが到来しました。営業をかけたクライアント様からのオファーが次から次へと訪れたのです。もちろん、いつものように一つずつ丁寧に応対し、いつもの手順とやり方で慎重にデザインを仕上げていたある日、そのクライアント様は私のネットの中に訪れました。

 

その月3番目のご年配のクライアント様が私のクライアント様になられました。

 

始めは、素敵な年の重ね方をされた方に一見見えましたが、この方がまさかとこの時思うよしもなかったです。

 

この方から、デザイナーズ名刺のデザインのご用命を受けましたが、普段、我々デザイナーはデザインのやり取りで、大抵三回ほどのやり直しで入稿、印刷へは至ります。しかしながら、この方に至っては、今回でもう7.8回目になるのです。

 

 

自分はパーティーがあり忙しい。知り合いのデザイナーに聞いたら良いデザインではないらしい、他の人にも見せた。何回目だから、どうして貰えますか?

など、ご自分がない方なのです。

割引き交渉に遅延行為、勤務外の夜中の連絡までし始めるようになってきたのです。

 

二度、三度となだめ交渉をし、一緒に頑張りましょう、もうひと息と、私の師匠と言えば笑いながら付き合って差し上げなさいと。

 

 

でもこれだけは、言わせて下さい。

 

●デザイナーはクライアント様の下僕ではない

●デザイナーは、デザインのプロである。

●デザイン時間外は、チビ達の親である。

●デザイナーは、クライアント様により良い

デザインを提供する仕事である。

 

 

理解していただきたいと思いました。

良き経験、私のセンスの糧になると共に、これからもこのような濃厚なクライアント様を大事にしていきたいと思います。

 

よろしくお願い致します。

当時、長崎で荒れた中学に転校した、ついていない私の幸福な生活

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私は、中3の夏休みに自分を育ててくれた五島列島の島を離れ、長崎市内にある。市内でも一番素行の悪い中学に転校することが決まっていた。

 

夏の終わりを過ごし、長崎市内に移り誰も知り合いのいないところで、近くにある商店のゲーム機器で百円アーケードゲームをしながら、ダラダラと夏休みを消化していた私は、その頃、週刊雑誌の漫画の中で流行っていた「今日から俺は」にちなんで何か髪型でもいい感じにセットして行こうかなどと考え、近くの理容に金髪にできますか?などと聞いて歩いてまわった。中学生の私には、金額の高さに飽きらめざるをえなく、いつもの髪を立てるスタイルにカットしてもらった。

 

 

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そして、転校初日、購買部で靴やネームを買っていると、いかにもヤンチャな感じの黒く日に焼けたヤンキーがホウキを肩にかけて近寄り睨みをきかしてきた。母は、心配して、「仲良く宜しくね」とフォローを入れる。その場は、特に何もなく過ごし、二階に上がってクラスに入ろうとすると、横で何か大きなクラスに人がいっぱい集まっている。

 

しかも、金髪リーゼントやモヒカンのような髪型、赤髪の学生がギャーギャー言いながらひしめいている。

 

何だったんだろうと思い。教室に戻り、座っているとヤンキーが代わる代わる私を訪ねてくる。「お前、どこの中学から来たとや?」「お前タバコ吸うと?」いちいち一方的な質問を投げかけてはどこかに行ってしまう。迷惑なものだ。

 

 

その後、そのヤンキー達は何が気に食わなかったのか後ろの防火扉を「ドゴーン!ドゴーン!!」と蹴っている。するとクラスの中にいた、まあ、イケてる方のヤンキー。こちらは少しヤンキー風のクラスメイトが近寄って来て、「いつものことやけん気にすんな。よろしくな、さっきSと話していただろう?俺の連れなんだ」

 

とりあえず、その時の少し悪さをするヤンキーの特徴といえばほとんどが決まっていた。それに、他校に喧嘩を売りに行ったりとかも色々あったらしい。

 

 

とにかく、その日から私のスリリングでサスペンスな日々が始まった。何日か経った朝から私は、前の学校でも履いていた当時流行りのボンタンを履いて行った。ちなみに私と同じ日に転校して来て、初日からボンタンを履いて来ていた転校生は顔の形が変わって大変なことになっていた。

 

バスに乗ると、赤髪の前髪と後ろ髪が長い不良が乗っていて、こっちをじっと見ている。「ん?ヤバイのかな」などと思っていると、「こっち来てここ座れや」と言って私がここ何日かバスの中で立っているのを見ていたのか、自分のスペースを空けてくれた。「俺は。Rよろしく。」案外優しく、これから赤髪のRとはバス通学友達になってしまった。

 

すると、バスを降りて来て、すぐに金髪リーゼントの不良が近寄って来て、「お前喧嘩強い?」などと聞いてくる。どういう質問なのだろう?と思っていると、他校に遊びに行くらしい…

 

 

などという形で、毎日が漫画のように過ぎていく。

 

しかし、私は幸福にも天性の柔軟性とフレンドリーさで事も無く過ごし、スリリングでサスペンスな体験をしつつつも楽しい学校生活を送れた。今、思い出すと可愛いものだし、今現在そこまで気合の入った連中も見なくなった。

 

 

彼らと大人になり再開することがあったが、彼らは1つの事業を起こすために各々仕事でお金を稼ぎ、何年か後にまた集結して自分たちの事業を始めたとのことだった。

 

 

今、そのような気合がある若い人たちがどれくらいいるのかは分からないが、面白い逸話である。私も、ある意味では同じ穴の狢。気合を入れて事業を起こすまでに至りたいし、今やっているデザイン業界で少しでも早く目を出せるように悪戦苦闘するつもりである。