向こう水博士

向こう水博士は、世の中のあらゆるテーマに対し率直に素直で真摯な意見を考える、いわば人生を好転させる福の神のような存在です。宜しくお願いします。

メモリアル

当時、長崎で荒れた中学に転校した、ついていない私の幸福な生活

www.youtube.com 私は、中3の夏休みに自分を育ててくれた五島列島の島を離れ、長崎市内にある。市内でも一番素行の悪い中学に転校することが決まっていた。 夏の終わりを過ごし、長崎市内に移り誰も知り合いのいないところで、近くにある商店のゲーム機器で…

お盆、長崎は精霊流し。長崎県各地巡りの旅出発まで残り1時間40分!!!

Posted on 2018年8月14日 by Chef Of Sunny 私と小学生のチビ達2人と婚約者の彼女、そしてウチの母、 私達家族は、今日、長崎へと旅立つ。 しかし、ここに至るまでの何週間でも母とは、人知れぬ激闘があった。 B型、自由奔放で気の強い母は、色々と優しく私…

長崎は五島列島での島での幼少時代の過ごし方、楽しみ その3

五島列島の上五島という島に移り住み、3、4年が経ち。僕たち児童が、5・6年生になる頃には、僕たちにはある程度いつも遊ぶ仲良し悪ガキグループができていた。 何をするにも一緒、どこに行くにも一緒というような結束の固い悪ガキグループだ。ある日、席…

私が育った島、五島列島を去る時、島の友達は…

私は、中3の夏休み小学校2年生時から私を育んでくれた五島列島を親の転勤で去らなければならなくなった。学校の担任の先生は、私の送別会も兼ねて夏休みの間にキャンプをクラスの皆んなですることを企画してくれた。 皆が、朝から集まり。私が中1の時より…

五島列島での幼少時代 その2

私の小さいころ私は、五島列島の自然の中で育った。五島列島の自然は私たちには、雄大で色々なものを与えてくれていた。 私たちは、大抵、4、5人の仲間で遊ぶようになっていた。ある日、小学校の裏山にあるダムの先へと進む道を皆んなで行ってみようという…

父の車に乗って

私は、小さい頃「後ろに乗りなさい」と言う母の声を後ろに「お父さん、お父さんの運転を見たいから助手席に乗っけて」と父に言っては、父の助手席をいつもゲットしていた。 父の安心できる車の運転に乗りながら、街の看板や、標識の文字を読むのが好きだった…

五島列島での幼少時代 その1

私は、小学二年生の夏休みに神奈川県から、長崎県の五島列島に引越しをした。 私の記憶が確かなら、親は、神奈川から長崎の五島列島までの道のりを車で二人交代で運転したはずだ。 一度、大阪で親戚のおばちゃん家に泊まり、五島列島まで二日がかりで行った…

家出先は、ハウステンボスのカウントダウンparty パート3

朝、気の良さそうなアメリカ人海兵に起こされ私は起きた。「俺はベースに戻るけど一緒に来るか」という。言われるがままに、ベースへの道を2人で歩いた。彼の名前を忘れてしまったが、軍を辞めたら絵描きになりたいということを話したり、もっと私の英語が…

中総体 minutes単位の桜木花道

中学校時代、私はバスケ部に所属していた。私たちの部活は先輩からの風当たりも強く、先生のコーチングも厳しかった。そういうこともあって、最初いた30人近くの部員も何人もの部員が辞めていく中、私たちの学年7・8人は残った。私には、あまりバスケッ…

家出先は、ハウステンボスのカウントダウンparty パート2

駅よりハウステンボスへの道を進んでいた私だが、親の元を飛び出すのが先決で時間など全然見ていなく、待ち合わせ時間まではとんだフライングだった。待ち合わせた時間は夕方の7時なのに私は昼の3時、4時頃にはハウステンボスに到着してしまったのである…

帆船パーティーwith オーストラリア女子♡

高校二年時の春休みに行ったオーストラリアのホームステイより、私は海外の虜になっていた。 高校を訪れたシンガポールとマレーシアの留学生のホスト役も仲のいい友達と買ってでたし、もちろん、その娘達が国に帰っても情報交換の文通をオーストラリアのペン…

再投稿 高校2年生時、春休みのホームステイはオーストラリア、シドニー近郊で

私は、高校一年生時にオーストラリアホームステイのパンフレットを貰い、一年間の成績が80点以下を取らないのを約束になら、行ってもいいという許可を貰った。 それから、一年間、一生懸命勉強に打ち込み見事、オーストラリアへのチケットを手に入れた…と …