向こう水博士

向こう水博士は、世の中のあらゆるテーマに対し率直に素直で真摯な意見を考える、いわば人生を好転させる福の神のような存在です。宜しくお願いします。

IQOSを使って一ヶ月 どう変化しただろうか

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私がIQOSを使い始めてから、約1ヶ月が経つ。最初にIQOSを吸った感想はクリーンな感じがして美味しいというものだった。3日経つとせっかくIQOSを吸い始めたにも関わらず、タバコが懐かしくなり吸いたくなった。

 

 

 

試しに3日ぶりのタバコを吸ってみる…「う、うえ、なんだこりゃ」タールのタルタルな独特の味とニコチンの有害な何かを深くか感じられて美味しくない、楽しめない。

よくこんなものを吸っていたなあなどと思う。

 

その後、IQOSを吸ってみると今度はタバコよりはなんだか物足りない。「あれっ、もしかすると、今、俺やめられる?」そんなこんな思って吸わないでいると、禁煙の離脱症状が出てきた、タバコは、IQOSを吸って吸わなかったためか受け付けなくなっている。

  

 

IQOSを吸うと、自然でクリーンな味を体感でき、しかもタールはなし、ニコチンも9割カット、ヒートした独特の味わい深い燻したタバコを吸うことができ、タバコよりも健康に良いときている。これは、IQOSの虜になるなあと思った。

 

その後も、IQOSを愛用している。今、現在では、まだ生産が追いつかずなかなか手に入りづらいIQOSに一種の優越感を感じながら、また美味しさを噛み締める。

 

 

 

今回、職場の仲間内3人で皆んなで禁煙をしようという機会があった。私は、何故だか自信があった。かれこれ一ヶ月タバコより離れているし、吸っているのはIQOS、ニコチンやタールもそこまで含有されていない。「これはいける!!」と思って取り掛かった。

 

 

7時間くらいは普通に、我慢できていたのだが、いかんせんIQOSに変えてからというもの食べ物が美味しい、しかもIQOSまで吸わないのだから、食べ物にはしってしまった。これは、違う意味でヤバイと思い。今回は断念した。しかし、タバコをやめてからIQOSまでやめるとなると、ご飯がこんなに美味しく感じるものなのか。

 

残念ながらIQOSをやめるまではいかなかったが、IQOSを吸うことにより体の中の何かに変化が起き始めているのは確かである。このIQOS習慣続けて、これからも身体の健康に気を配りたい。

家出先は、ハウステンボスのカウントダウンparty パート3

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朝、気の良さそうなアメリカ人海兵に起こされ私は起きた。「俺はベースに戻るけど一緒に来るか」という。言われるがままに、ベースへの道を2人で歩いた。彼の名前を忘れてしまったが、軍を辞めたら絵描きになりたいということを話したり、もっと私の英語が上手ならあなたと話がいっぱいできたのになどという話をした。

  

 

 

ベースのゲートで彼が証明書を見せ手招きする。シャワーに入ってくるからと言い、こちら俺の上官と紹介してくれた。昨日のことを引きずって、私も浮かない顔をしていたのであろう。「どうした?」と上官。

 

 

理由も上手く説明できないままいると、上官は先ほどの彼を指差しながら、「あいつは気のいいやつだ、だからここには向かない、ほら」とシャワーを浴びた後にビールを飲み、ゲームをしている彼を見ている。「人生は一度きりだ楽しみな」と言って上官はいなくなった。

 

 

 

その後、彼と話をしながらベース内のゲームセンターで遊び、佐世保の街へとマリアに会いに行った。彼女は会うなり私に「親が心配しているから家に帰りなさい」と言う私は、昨夜のうちに罪悪感のために親に電話をしたのだが、父が電話にでて自分で家を出たのだから家には帰ってくるなと言っていたことを思い出した。

 

マリアにもう一晩だけとお願いするが彼女は、許してくれず2人に連れられて駅まで来た。さよならを告げて電車に乗るが、帰りのことはよく覚えていない。

 

家に帰り、激怒している父が棒で私の背中を100発近く殴打したのは記憶にあるが、その時私の頭の中には、ジルの姿が頭に残っていて痛みなど感じもしなかった。自分の部屋の中に戻り、大泣きした私は、母に物凄く心配されたが、親を裏切ってまですることにいいことなどないのだなと気付いたのはここ最近のことだった。

 

 

 

淡い記憶とともに私が大きく父を裏切ったのは、これが初めてだったかもしれない。

これらの記憶も今は、懐かしい思い出である。

 

中総体 minutes単位の桜木花道

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中学校時代、私はバスケ部に所属していた。私たちの部活は先輩からの風当たりも強く、先生のコーチングも厳しかった。そういうこともあって、最初いた30人近くの部員も何人もの部員が辞めていく中、私たちの学年7・8人は残った。私には、あまりバスケットの技術が身につかなかった。

 

 

何故そうだったかというと、部活がキツかったせいもあり、よくサボっていたからである。しかし、足だけは早く、バスケ部は元より陸上部と対等に走り得る脚力を持っていた。

 

技術がない分走って走って、相手のミスを誘い、こぼれ玉を広い、シュートに繋げる展開だ。あっという間の3年間の汗にまみれた部活活動が過ぎ、中総体が近づいてきた。我々は、思い思いのポイントを強化し、試合に挑む。

 

 

 

あたるチームは全部で二つ、漁師町の魚中と選抜的な中学、上中である。魚中の試合は選抜メンバーで行われたので、ずっとベンチを温めていた。

 

次に、上中試合、後半になりコーチが私にアップをさせ始めた。点数は一桁が少し負けている程度だ。コートの中に入る。すると、攻めていた味方がいきなりボールを取られ、味方コートには自分だけ、ボールを持った敵が攻めてきた。

 

しかし、この早い動きの中で相手のつくドリブルのタイミングが良く見える。タンタンタンこれは意外にタイミングさえ合えばスティールできるかもしれない。スティールは自分の得意技だ。タイミングを計り抜き際にサッとスティール成功。

 

 

今度は、自分たちの速攻の番に変わった。観衆がどよめきキャーキャー言っている。私は、スリーポイントラインの所までダッーとドライブして行って、キュッっと止まり一度フェイクを入れて1人敵を交わし、スリーポイントシュートを放った。ボールは弧を描き、ゴールの角にあたり惜しくも外れた。「ああっ!」と観衆

 

すると、また相手側の反撃が始まる。ゾーンディフェンスだ。ゾーンを組んで、敵に備える。大柄な相手チームのセンターが端にボールを回そうとしていた。相手は大柄な選手が多く、リアクションが大きい、カットに入る。

 

 

ナイスカット成功観衆のまたもやキャーキャーという声その声をせに先ほどと同じコースで同じ攻撃を仕掛けるスリーポイントラインに立ち、ワンフェイク入れて敵を交わしてという時に、うちのキャプテンがゴールしたまで来て手を挙げているのが見えた。パスをだす。しかし決まらない、キャプテンも長い試合で疲れている。

 

 

私は、ここで下げられ中総体は終了したのだが、控え室に戻ると、「さっきの選手は高校に行ってもバスケするのか?」とか「何て名前だ」なんてminutes単位の桜木花道は有名な一発屋に成り上がっていた。

 

私は、満面の笑顔で中総体を迎えられ楽しい思い出として誇らしく思っている。バスケ初心者の私があそこまで観衆を沸かすことができた、脚光を浴びた瞬間の感じを忘れることはできない。楽しい3年間のバスケ生活として残った記憶である。

家出先は、ハウステンボスのカウントダウンparty パート2

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駅よりハウステンボスへの道を進んでいた私だが、親の元を飛び出すのが先決で時間など全然見ていなく、待ち合わせ時間まではとんだフライングだった。待ち合わせた時間は夕方の7時なのに私は昼の3時、4時頃にはハウステンボスに到着してしまったのである。

 

 

こうなると、せっかくのアミューズメントパークでも時間を潰すとなると大変なこととなる。長い時間と広いパーク内を行ったり来たりあてもなく歩き回る。高校生の持っている所持金など高が知れているしこの前も、ハウステンボスには来たばかりである。

 

 

完全にすることを失くした私は、ひたすら待つ忍耐の鬼に変わった。待つこと、およそ4時間。ジルとその一行はやって来た。しかし、ジルとこの前くるはずだったマリアの横には、アメリカ人海兵の姿がある…

 

ジルのことを少なからずとも悪くは思っていなかった私は、何故かアメリカ人海兵と共に現れた彼女にがっかりした。しばらくの間、他のオーストラリア人の友達の日本語の手紙を訳してあげたり、久々に会った喜びを話した後、私たちの団体は、中央の広場に向けて歩き始めた。

 

 

 

先ほどからの、私の態度が気になったのか一緒に来たアメリカ人海兵と腕を組みながら、私とももう片方の手で私の腕をがっちり組んできた。アメリカ人海兵があからさまに嫌な顔をして、私を肩越しに押す。高校生の私はアメリカ人海兵の鍛え上げられた腕の圧力に飛ばされるが、また、腕を組む。

 

そんなやりとりが、何回か続いた後、急にジルが通りの真ん中にへたり込んでしまった。そして、もう帰りたいという。ジルが帰った後、頭が痛くなり。私は1人でハウステンボス内をうろついた。どれくらいの時間フラフラしていたのだろう。カウントダウンが始まった。

 

 

 

 

周りが、どよめき始める。5、4、3、2、、、1パンッパンドンドン花火が上がり始め近くにいた、映画に出てきそうな顔をしたアメリカ人海兵の1人が握手を求めきて「HAPPY NEW YERE!! BE NICER YEAR」

と言って、肩を叩いた。新しい年の幕開けだ。

 

 

私は、オーストラリア組みの中に戻った、マリアが「あなた今日泊まる場所は?電車はもうないでしょ」と聞いてきた。マリアが連れてきた気の良さそうなアメリカ人海兵も一緒である。「一緒に来る?リズ先生の部屋なら空いてるわよ」私たち、オーストラリア組は佐世保の街に向けて歩き始めた。

  

途中、今度は佐世保の夜中の暗いアーケード街を歩く強面の日本人お兄さんたちに絡まれそうになりながらも、リズのアパートに着いた。マリアは私と気の良さそうなアメリカ人海兵をおいて、今日は帰るわね。明日、また会いましょう。と言って帰って行った。

 

 

 

to be continued…

土、日の一泊旅行と田舎からの訪問者

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私は、約一ヶ月後にパートナーとウチの家族で、家族旅行に行く計画を立てていた。

 

しかしながら、どうしても私の中の旅に出たいという想いは打ち消せず、土曜日に母が田舎から我々家族の元を訪れた後に決行したのだ。

 

 

母は、お昼頃にやって来た。私がお昼にパンを食べたいというと、巻き寿司とおはぎを買ってやって来た。

 

お昼ご飯を食べ終わり、第二のIQOSを母に譲ると、私達は、来年小学校に上がる娘のランドセルを買いにお店へと向かった。

 

娘は前々から、薄紫色が欲しいと言い続けていたので、どうなる事かと思っていると、お店のランドセルコーナーに着くなり、水色がいいと言い出した。

 

私も息子も尿意を催しトイレに行って戻って来ると、薄い赤のランドセルを背負ってニコニコしている娘がいるではないか、結局はバァちゃんと探しているウチに本人が鏡を見ながら、赤が自分には似合うと決めたらしい。

 

 

そうして、私達は、母に礼を言い別れた。

 

その後、仕事から帰って来るパートナーと明日は、両方とも休みという事で、一泊弾丸旅行に行こうという事に急遽決めた。

 

 

私は、私の出来るチビ達の荷物や自分の荷物をまとめたり、ご飯を炊いたり、水筒にお茶やコーヒーを入れたりの準備をした。彼女は、帰って来て、出来る限りのおにぎりと、オカズを作り、一泊旅行へと

夜半に出発した。

 

 

行き先は、ある程度決まり、そこに向け車を走らせる。車の運転は、交代ずつ行なった。始めの頃こそ、チビ達も興奮冷めやらぬ感じで、いつまでも起きていたが、今日中に着かないと知ると諦めて寝てしまった。

 

 

寝る場所を探す前に地元で有名な砂浜へと行く、天候は雷がはしっていたが、満点の星空が、綺麗にキラキラと輝いている。本当に空気が澄んで綺麗だった。

 

その後は、夜道を2人で語りながら走る久々の夜のドライブに心も騒ぐ。そうこう走っているウチに、ほとんど着いたので、今夜は、ここで休もうとコンビニの駐車場に着いた。

 

しかし、寝に着きしばらくすると、早くから寝ていたチビ達が起きてきたではないか。仕方なく、お腹が空いたといつまでもうるさいチビ達を連れてコンビニの中へ。夜中だというのに、息子は、一人前のカップラーメンをペロリ。これには、たまげた。

 

 

 

 

朝になり、少し早めに動き出す。朝起きからチビ達はテンションが高い。あちこちと、公園や展望台を巡りチビ達も遊びまわる。昼過ぎには家族湯へと向けて車を走らせるが、パートナーも疲れ、途中で仮眠。昼には皆んな何事もなかったかのように、にぎってきたおにぎりを食べる。トレーラーを前に見ながらチビ達も黙って食べたおにぎりだった。

 https://twitter.com/chibikkoGANG1/status/779500431160377344

その後、やっとの事で家族湯へ、私たちは一晩狭い車内でこり固まった身体をほぐすかのように、ゆっくりと入り、その横でチビ達は泳ぎまわっている。

 

 

そして、私達は、帰宅の途に着いた。一泊の弾丸旅行、ガソリン代と少しのお金でできる、楽しい経験の旅である。これからも体力の許す限りこの旅行を企画し、楽しみたい。

 

皆んなの思い出に残るように。

家出先は、ハウステンボスのカウントダウンparty

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私は高校時代、毎朝5時半には起きては始発のバスで学校に行き、夕方帰って来て、夜中の3時まで勉強の繰り返しに嫌気がさしていた。

 

なので、親に頼みこんでハウステンボスに、同じ高校の男友達と、帆船パーティーで知り合ったオーストラリア女子とで遊びに行こうという事になったのだ。

 

 

 

その日、私と友達は電車に乗ってハウステンボスへと向かっていた、その頃の高校生の必需品、CDウォークマンなどを持って…

そのまま、電車に揺られる事2時間半くらいはあったのであろうか、やっと佐世保へと着いた。

 

 

 

その後、オーストラリア女子高校生2人との会う約束だったが、1人は、用事があるために今日は来れないという事で、たどたどしい英語とたまに日本語を交えながら、1人のオーストラリアの女子、ジルと会話をして国際交流をして、観光しながら、その時流行っていた、ビバヒル90201の話などに花が咲いた。

 

その後は、チーズ小屋を覗いたり、話を見たりして楽しんでいた。彼女のホストファミリー先が近いらしく、ハウステンボスの年間パスポートを持っているらしかった。

 

そう、この回は、男友達とも来て大人しく帰ったのだ。

この回までは…

帆船パーティーに、ハウステンボスでの再会。私もオーストラリアの彼女ともすっかり親しくなり、また会いたいねなどと、言って別れたのだ。

 

 

 

 

しかし、また、毎日の生活に戻り何か物足りなさを感じて毎日を過ごしている時に、ハウステンボスでカウントダウンpartyがある事を私は知ってしまいました。

 

 

いつものそのオーストラリアの彼女に電話をすると行くと言う。また、友達を誘うと友達は行かないと。

一応、高校生なので、親に聞くと「ダメだ!」と言われた。

 

でも、どうしても、自分は行きたい。この前行ったのは承知のうで、でも今回はpartyだし、何かが違う、から行きたい。オーストラリアの彼女も来る。

 

 

よし、これは親には悪いが、抜け出そうと決意し残ったお小遣いを握りしめて、また、電車に駆け込みハウステンボスへの道を進んで行った…

 

 

to be continued...

 

帆船パーティーwith オーストラリア女子♡

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高校二年時の春休みに行ったオーストラリアのホームステイより、私は海外の虜になっていた。

 

高校を訪れたシンガポールとマレーシアの留学生のホスト役も仲のいい友達と買ってでたし、もちろん、その娘達が国に帰っても情報交換の文通をオーストラリアのペンフレンドと同様に続けていた。

 

 

高校の二年生の頃だっただろうか、私は親と一緒に

市が行う帆船のツアー旅行に参加した。その時、知りあったのが、当時、佐世保から来ていた、外国人の先生と友達のような学生さん達であった。

 

 

 

色々なイベントを行なって行く中で、彼女ら、5.6人は、オーストラリアの出身らしい事が分かった。

 

オーストラリア…一気にテンションが上がる。地元オーストラリアの話などで盛り上がり一気にお近づきになり、そのまま仲良くイベントにも参加。

 

イベントの中で、その中の3人の女の子と仲良くなり、親もいつの間にか他の場所へと移動したところで、イベントの中、彼女らの1人、私の好みの少しふっくらとしたジルがステージの上でパネルディスカッションを行っている際に、周りのオーストラリア女子は、私にちょっかいを出してきては、ジルの見せる反応それが面白いらしく。彼女が好きなのかとか、色々と聞いて回っていた。

 

島でのイベントも終わり、オーストラリア女子のポップな反応にも慣れたきた頃、帆船は港へと出港した。

 

 

夜になり、夜の催しは帆船上でのパーティーに進んで行く、夜のパーティーではビールの早飲み大会やらで盛り上がる。私は高校生だったので飲めなかったのだが、周りはお酒も入り一気にテンションも上がって行く。

 

 

オーストラリア女子達のお姉さん役、リズ先生やジル、マリアもオーストラリアの法律ではお酒を飲めるらしくなかなか酔いが回っている。すると、いつしかオーストラリアの女子に連れられて甲板の中心部に、そして、何やら、英語でし◯いこと、何を◯てもい◯のよと言っているように聞こえる…ではないか。

 

その後、何があったかはご想像にお任せしますが、これを機に私たちは仲良くなり、そしてまた出会うこと事になる。

 

 

いろいろな事もあり、帆船ツアーは無事幕を閉じた。最後にリズ達と連絡先を交換して、いつかまた会えたらと言葉を交わし今回のツアーは一旦幕を閉じる。